環境教育の取り組み
〜城山小学校からの宿題〜
 黒崎中央小学校は2007年に黒崎小学校と陣山小学校が統合して開校しましたが、陣山小学校は1977年に「城山小学校」と統合された学校です。また城山小学校があった場所は、現黒崎中央小学校の校区です。

 城山小学校は昭和31年4月(1956年)、官営八幡製鉄所や化学工場、セメント工場などが立ち並ぶ洞海湾周辺地域の城山地区に、陣山小学校から分かれる形で開校しました。
 時代は高度経済成長期、当時の八幡市は日本の重工業の中心地として重要な役割をになう一方で、住民は水質汚濁や大気汚染に悩まされました。
 昭和40年代に入ると、子どもたちに健康被害が目立つようになりました。工場の廃水により洞海湾は魚も大腸菌も住めない「死の海」と呼ばれ、毎日降り注ぐばい塵は洗濯物や子どもの顔まで黒く染め、城山小学校の屋根にはおびただしい量のばい塵が降り積もり、雨どいが腐食するほどでした。

 城山小学校の児童も懸命に公害に立ち向かいました。公害に負けない体を作るために乾布まさつを行い、空気清浄器の掃除も自分たちでやりました。しかしやむなく転校を選択する児童が増え、ついに昭和52年3月(1977年)に閉校、陣山小学校に統合されることとなりました。



 私たちは城山小学校の歴史を継承するものとして、過去の公害を学び、先輩たちの努力と困難に立ち向かう強さを後輩たちに伝えるため、環境学習に力を入れています。

 地域の方から当時の大変さを教えていただきました 当時の学校の様子を食い入るように見つめる児童 
 




城山小学校跡地や洞海湾を実際に歩いて見学します

先輩からのメッセージ〜環境授業でのスライドより〜


    

 「城山の宿題」は、地球の未来に続きます。
 北九州市の公害克服、そして、環境未来都市の原点は、「城山」です。高度経済成長の真っただ中、当時、北九州市の城山地区は、公害の被害の激しさで報道等で何度となく取り上げられました。
 しかし、公害の激しさから統合されたしまった城山小学校があった城山地区を故郷とする人々の思いは、取り上げられることはありませんでした。当時、城山小学校の小学生だった千疋氏は、「城山を故郷として生きてきた人々の思いを忘れないでほしい。」と現在は、環境サポーターとして活躍されています。
 「城山の宿題」のめざすゴールは、地球の未来を見据えたものです。単なる流れとしての環境の取り組みではなく、公害克服を原点とした北九州市の環境の取り組みは、今アジアの人々に受け入れられ、広がりを見せています。自治体の取り組みとしては、異例なことです。
 環境面に配慮して、なおかつ利便性を高めていく持続可能な社会にとって、「城山の宿題」はこれからも答え続けていかなければいけない課題なのです。






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