ため池
猿喰新田
クイズ
トップへ
もどる
校区紹介へ
もどる
案内地図
江戸時代に、大里村の庄屋だった石原宗祐(いしはらそうゆう)が相次ぐ飢饉から村人を助けるために、自分の財産を使い、宝暦七年(1757年)から3年間をかけて、海岸に堤防を作り、海の水をせき止めて干拓した新田です。その広さは約33ヘクタールあります。
猿喰新田開発が完成したあとも、宗祐は稲作が早く始められるよう、新田の塩気ぬきやかんがいのためにため池を九年の歳月と多額の金を費やして造っています。
なかでも新田の塩気をぬいたり、川や用水路の水を海に流すために利用したという「汐ぬき穴」を造るために一年もの歳月を要したと言われています。「汐ぬき穴」や「ていぼう」などは当時の土木技術を示す遺構として貴重なものです。