ていぼうが完成しても、すぐには米づくりは始められませんでした。ていぼうの内側の海水を外に出したり、海水がしみこんだどろ土を米づくりができる土に変えたりしなければなりませんでした。
 そこで、潮が満ちても海水がていぼうの中に入らず、潮がひいたときに新田内の水を外に出せるような“汐ぬき穴”のしかけを考えました。

猿喰新田
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汐ぬき穴
ていぼう
 1757年から、ていぼうづくりの工事がはじまりました。
 みさきとみさきの間に
を積み重ね、一年をかけて約430mのていぼうが完成しました。
 ていぼうづくりには、たくさんの土や石が必要でした。猿喰新田のていぼうをつくるために、もっこ(土などを運ぶ昔の道具)で およそ104万回分が使われました。
用水路
汐ぬき穴のしくみ
 しかし、新田のどろ土はたっぷりと塩分をふくんでいて、それでは作物が育ちません。
 そこで、新田の塩分をとりのぞくために、用水路をたてよこに作りました。
 はじめは、塩分に強い作物から作り始めました。また作物が育つためには、どうしても水が必要です。そこで、宗祐や村人たちは塩分と日照りの害から新田を守るために、9年間の年月をかけて、新田のまわりにため池をつくりました。
 このような工夫をかさねたすえ、猿喰の海は米づくりのできる広い田に変わりました。
 潮がみちると、板(水門)をしめる
 潮がひくと、板を上げて用水路の水を出す

 このような工夫によって、用水路の水をていぼうの外に出せるようになりました。完成には1年ほどかかりました。
 汐ぬき穴はていぼうの両側に2つずつ、計4つありましたが、現在残っている汐ぬき穴は2つです。
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