修 学 旅 行の思い出
修学旅行 9月26日(水)〜27日(木)
1日目 佐賀県立
宇宙科学館
「ゆめぎんが」
 「参加や体験」ができるところがたくさんあり、科学を面白く、楽しく学ぶことができました。
昼食
武雄センチュリーホテル
 テーブルマナーをホテルの方に教えていただきました。ちょっぴり緊張した時間でした。
城山小学校   原爆落下中心より500mの所にあり、被害も甚大で1400名の子どもや教師たちが命を失いました。今でも敷地内には、被爆校舎が残されています。
原爆被爆者の方のお話

 

長崎原爆資料館
原爆落下中心地
平和公園
 原爆資料館では、長崎市のなめし小学校の5年生との交流をしました。
 1年生から6年生までみんなでおった折り鶴を平和の祈りとともにささげてきました。
宿泊地
佐賀武雄温泉
「花月」
 みんなといっしょに食事をしたり入浴したりと楽しい時をすごしました。その中でも一番楽しかったのは、ふとんのなかでのおしゃべりかな・・・
2日目 吉野ヶ里
歴史公園
吉野ヶ里の遺跡では、弥生時代の全ての時期の遺構・遺物が発見されています。しかもそれぞれの時期の特徴をよく表しているものが見つかっており、この時代にどのように社会が変化していったかが分かる極めて学術的価値の高い遺跡です。
三井グリーンランド 熊本県荒尾市
 昼食後、グループごとに思いっきり楽しみました。
児童の感想
  •  実際に被爆された内田さんの話で一番心に残った「戦争は、その人の幸せ、家族の幸せをもぎとってしまう。」という言葉ににものすごく共感した。
  •  私は、原爆資料館を見て、どうしてこんなつみのない人が、どうしてこんなことにならないといけないのか・・・その気持ちでいっぱいいっぱいでした。毎日、毎日空襲が来るんじゃないかと心配し、安心して眠れる夜がなかったんじゃないかと思いました。そんなふうに思っていたある日、AM11:02空襲警報がならずに悪魔の原爆「ファットマン」が長崎の町に落とされ、一瞬にして長崎の町が死の町になりました。
     そのたった一つの原爆で73884人が亡くなり、74904人が負傷しました。、原爆のおそろしさは、まだまだ続きました。それは、原爆が爆発した時にいっしょに出された放射能でした。放射能は、お年寄りから子ども、赤ちゃんにまでおそいます。せっかく生き残ったというのに放射能のせいで、がん・白血病になります。その放射能で苦しむ人は、現在でもたくさんいます。
     どうしてこんな多くの人が亡くなるのかわかるのに、こんな原爆を落とすのか、私は、いつも思います。
     もう、こんな原爆を二度と落としてはならない、そして今、戦争をしている国は、すぐに戦争をやめ、仲良くしていき、宇宙で一番かがやいている地球であったらいいなと思いました。 
  •  命、かけがえのないものなのに、人間はその命をうばおうとする。爆弾(ファットマン)は、その人間の命をいや長崎の命をうばった。木も草ものこっているものは、焼け野原だけ、長崎の苦しみや悲しみだけが残りひとの命はもうもどってはこない。私たちは、この日のことを忘れてはいけない。   
  •  私は、原爆資料館で、顔が焼けただれた写真が一番こわかったです。被爆者の方の話も目がなかったり、穴が開いたりしている人がいたと聞きました。この人は本当に人間なのか?という人もいたそうで、私は、米軍はひどいなと思いました。でも、太平洋戦争をはじめたのは真珠湾を攻撃した日本で、日本が悪いのかなと思いました。でも、人と人が殺し合ったのだから、両方悪いと思いました。
     永井博士の話もとても心に残りました。ガイドさんの話してくれた、「この子を残して」という話は、泣きそうになりました。たった2畳の家で、平和を訴えていたんだと思いました。1本柱の鳥居も天主堂もたった1つの爆弾ですべてがなくなってしまって、すごくはげしい爆弾だったと思いました。その爆弾は、高温でガラスと手の骨がとけてくっついていました。中心にいた人は、骨さえも残らないなんて・・・もう、同じことは、くりかえしてはいけないと思いました。
  •  佐賀県に入ってバスの窓から外を見ると、「世界の車窓から」みたいでした。家がぽつんとあって、田が多く、遠くに来たんだなと思いました。バスによいやすい私がよわなかったのは、歌を聴いてとても元気が出たし、ガイドさんやみんなの話が楽しかったからかなと思いました。
  • 三井グリーンランドが楽しかったです。たくさんの乗り物に乗って楽しみました。お化け屋敷の入り口で、他のグループの友だちが大泣きしていました。そんなにこわかったのかと思っていたら、入る前に泣いていたそうで・・・泣き顔が今も忘れられません。
  • 旅館では、いっぱい食べていっぱいねました。
  • やはり、旅館の夜が一番楽しかったです。おしゃべりしていると、意外なところもあって、学校とは違うところが分かってうれしかったです。みんなねぞうも悪かったけど、朝、起こす時が1番大変でした。
  • 旅館の中では、夜遅くに先生たちが見まわりに来てくらました。その中のひとりの先生が「お前たちは寝るまねがうまいなあ。」と言ったので、みんな笑ってばれてしまいました。

 早いもので 修学旅行から戻ってもう1週間です。子どもたちの旅行の記録を読ませていただきながら、この修学旅行が意義あるものになったことが伝わってきてうれしい思いになりました。ご理解・ご協力ありがとうございました。おかげさまで、事故一つなく旅行よりもどってまいりました。さて、修学旅行の思いで話はもうすでにお聞きおよびのことと思います。また学年掲示板をはじめ、子どもたちの学習報告や感想などを紹介させていただきますので、明日の学習参観等、来校の際にはごらんください。ここでは少しばかり旅行記を・・・

 秋晴れの中、バスが出発しました。朝の目覚めが早かったのか少しねぼけモードの子どもたちも高速道路より佐賀にむかうころから元気を取り戻しました。佐賀宇宙科学館では体験型の学習に参加したり実験学習を観察したりする姿が多くみられましたが、佐賀発見ゾーンがあることすらわからず、バスに乗って『そんなコーナー あったの?』という子も・・・とても学習になる宇宙館の見学でした。
 長崎に入りまずは、城山小学校へ・・・
実際に被爆された方のお話に聞き入る子どもたちがそこにはいました。被爆校舎の見学では、多くの被爆者の被害状況を伝える写真パネルに見入る子もいて・・・真剣な表情が印象に残りました。
 原爆資料館では、長崎市内の小学校の5年生がわたしたちの学習に参加する形でインタビューをする学習がはじまり、交流学習ができました。その後資料館に入った子どもたちは、被爆の歴史と向き合い、かたずを飲んでみつめる子もいたりして、印象に強く残ったようでした。被爆中心地の見学や平和の泉、平和祈念像前での平和の祈りは、きっと天までとどいてことでしょう。全校児童の平和への願いがたくされた鶴も、献花台にかけられみんなで手を合わせて祈りをささげました。『男が勝手に始める戦争の犠牲者になるのはいつも女と子どもたち・・・』という先生の話がよくわかりましたと感想をいだいた子もいたことうれしいです。みんなそれぞれの思いで、平和を祈ったひとときでした。 
 その後、すぐそばのお土産センターで、カステラや皿うどんなどの家へのお土産を買い求めた子どもたち、武雄にむかうバスの中からは、大村湾に沈むオレンジの太陽がとてもきれいで・・・サンセットにも平和の祈りを捧げていたようです。恋の祈りを捧げていた子も中にはいましたが・・・
 遅めの旅館到着にもめげない子どもたちは、楽しい夕食、タオルをもってこないでしかられるおふろを楽しみ、それぞれの部屋で仲良しのお友達と一緒に楽しい夜を過ごしていたようです。夜中に部屋をまわるとひおひそ声もぴたりととまり、何と寝たふりの上手なことと言ったら・・・寝相が悪い子ばかりでした。

 2日目の朝もすがすがしく、旅館を後に吉野ヶ里歴史公園へ・・・開店ならぬ開園と同時に入場した子どもたち、次の予定が気になるのか・・・その足取りの速いことといったら・・・古代のロマンを味わった人は何人いたのでしょうか?笑えました。
 そしてむかった三井グリーンランド、到着後、入場口前での記念写真があり、また、バスに乗り込み昼食会場へ・・・遊園地を横目の移動はきついものがあったようで、口をぽかんとあけて、違う意味のよだれをたらしていた子どもたちでした。お昼のカレーライスを食べるスピードは日本一でした。最後の学習『三井無重力体験型学習』をひとつひとつクリアーして子どもたち・・・集合場所にもぴたりと集まったのはよかったのですが・・・『あっ。お土産?』と叫んでも時すでに遅し・・・一行は、一路学校まで・・・楽しい2日間の旅がここにおわりました。『もう1泊したいよう』『また、行きたいよう』と叫びながらの帰校となりました。

 2日間、大きなケガや病気もなく、無事にもどってきた6年生の胸には、いっぱいの思い出がつまっていたことでしょうね。どうもおつかれさまでした。ということで、修学旅行記を簡単に終わらせていただき報告にかえさせていただきます。楽しいエピソードは子どもたちから・・・子どもたちへ ありがとうございました。おつかれさま。

ゆたか丸 折り鶴に託された平和への祈りを胸に 長崎そして修学旅行へ
<事前学習より>
 平和に関する事前学習を経て、ゆたか丸が長崎へむかいます。全校児童が平和について考えた学習のあとにおった心のこもった折り鶴を長崎へ届けます。6年生では、被爆 地【長崎】を学び、心ひとつにむかいます。

事前学習 【長崎の少年・少女】から学んだこと

  • 学習ビデオの中で、一番心に残ったのは、真珠湾攻撃(日本が太平洋戦争を始めた日)の日に生まれ、終戦の翌日に亡くなった方の話です。たった一にも平和にすごせないで亡くなったのがかわいそうです。今は平和が当たり前、だけど60年前は戦争が当たり前だったかもしれないので、今の自分は幸せだと思った。
  • 当たり前のことがなぜできないのか?あんなになることがなぜ予想できなかったのか?もし、あの原爆が落とされていなければ、生きている人もたくさんいたし、赤ちゃんも大人になっていたかもしれない。あの爆弾で生き残った人の苦しみも続く。
      世界に【戦争】の言葉が消えない限り、人々が平和に暮らしていけることはないと思う。 
  • 私はビデオの映像が一番心に残りました。黒こげになった人たち、やけどで皮膚がぼろぼろになった人たち、見ていて目をそむけてしまいました。また、戦争体験者の人の話も戦争のすごさを語っていました。私は『長崎の人がかわいそう』と思っていましたが、戦争は一つの国が悪いのではなく、両方の国が悪いものだと今は思います。だから、どの国も悪い国にならず、仲良く暮らしていける世界になればいいあ、私もそうなるように努力したいなと思いました。
  • (語り部の)人それぞれの怒りをとても感じました。妹や弟を返してと言っても戻ってこない気持ちが悲しいなと思って見ていました。生き残れた人でも生きた実感がしないと思いました。生きていても死の世界みたいに感じました。
  • 今日の平和学習で、『長崎の少年少女たち』という学習をしました。。私は戦争を体験していないから本当のこわさはわからないけれど、1年生の時から今まで平和そして戦争の勉強をして、戦争というものがどれだけおそろしいものかがよくわかりました。今日の学習でも、あの一発が一瞬にして長崎という町を一瞬にしてかえるすごくおそろしいものなんだなあと思いました。私はこれからの世界、平和で戦争のない日々が続けばいいなあと思っています。

    この他にも、しっかりとした思いが伝わる感想文が多くありました。うれしいことです。

 そこで、長崎での平和に関する学習と滑石小学校との学習交流会を前に、子どもたちにたずねてみたことを少し紹介しようと思います。
【 あなたは、今までの『戦争と平和』に関する学習の中で、どんなお話が心に残っていますか? 】
  • 『ほたるの墓』が心に残っています。私にも兄弟がいますが、わたしたちが戦争   で兄弟だけ生き残っても、私には生き残る強さがあるかな?って・・・。
  • 『ちいちゃんのかげおくり』の学習が一番心に残っています。お父さんが戦争行って会えないからかげおくりで写真をとっていました。そこの場面が印象に残っています。
  • 沖縄のさとうきび畑の話が心に残っています。最後に味方の兵士からうたれ殺された主人公の最後の言葉『ぼくは人をうつために生まれてきたのではない』というのが心に強く残っています。

【 自分たちの町の戦争を、あなたが長崎の子に伝えるとしたら・・・ 】
  • 八幡大空襲のことを伝えたい。しょうい弾という町をまるこげにした爆弾の話をしたい。
  • 八幡大空襲でおじいちゃんやおばあちゃんが死んでいたら僕たちもいなかったことを伝えたい。
  • 先に油をまかれて爆弾がおとされたので、八幡の町すべてが火の海になった。
  • 私たちの町に本当は爆弾がおとされる計画があったこと、そう考えると長崎の人たちに何かわるいことをしたような気がします。

【 被爆地長崎で何を学んできたいか? 】

  • 戦争中に生きていた人の話を聞いたり、戦争で被害をうけた場所に実際に行ったりして、いろいろなことを学びたい。
  • 修学旅行で行く城山小学校の人たちの平和への取り組みを学習したい。
  • もっと長崎のことを知って、戦争のことをよく知って、どれだけの苦労や悲しみがあったかをわかってあげたい。自分の心の中にずっと残るような学習をしていきたい。
  • 何もしていない人たちがどんな事になったのか?その人たちの気持ちを考えながら学習していきたいと思っています。
  • 人々の苦い、苦しい経験をしっかり学習していきたい。また、学習してきたことをお母さんやお父さんに話すためにしっかり勉強する。
  • 戦争下で生きた人たちはどんな気持ちだったのか?
  • 原爆がどれだけの激しさだったのか、今でものこっている物を見たりして学習してきたいです。
  • わたしたちのところにおとされなくて、長崎に落とされたので心をこめて一生懸命に平和を願ってきたいです。
  • 8月9日、長崎ではどのような事があったのか?そして原爆の悲惨さ。そして生きるということがどれだけ大切かを学習してきたいです。

【 長崎で学ぶことを、今後どのような学習に生かしていけると予想できますか?】

  • わたしのいとこが1年生くらいになった時、戦争のことを教えてあげようと思います。お父さんやお母さんにも教えてあげます。そして、今後このような事があってはいけない事をいろいろな人に伝えていきたいです。
  • 生きたくても死んでいった人たちのために、絶対に命をむだにしてはいけないという学習につなげていきたいと思います。
  • 中学校に入っても、戦争のことを学ぶのなら、小学校で学んだことを中学につなげたい。
  • 長崎や広島が受けた被害を2度とくりかえさないためには、どうしたらよいか?何か私たちにできることはないのかを考え、できることから実行していきたいです。

そして長崎にむかいます。このように高い意識と学習意欲の向上が見られれば、実際の現地学習にも意欲がわいてくると思います。もう一度、自分の学習の一番中心になることを整理して学習に臨みましょう。修学旅行では、平和に関する学習のほかに、吉野ヶ里遺跡、宇宙科学館の見学というタイムスリップも行います。一人残らず安全に楽しく すごし、ゆかいな修学旅行を築きあげていきたいものですね。みなさん、よろしくお願 いします。


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