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6年生の活動 | ![]() |
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10月18日 |
大名行列の気分で・・・立場茶屋銀杏屋 に寄ってきました。本日 子どもたちにパンフレットを持たせます。ご家族でも一度おでかけになられてはいかがですか? 意外と身近にある昔からの史跡です。インドを航海中のゆたか丸より、お便りが届きましたので紹介します。 |
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『 秋晴れの気持ちいい毎日が続きますが、ゆたか丸乗組員ならびにそのご家族のみなさ まにおかれましてはいかがおすごしでしょうか? 昨日は、秋を楽しむ遠足だったということですが、楽しくすごされましたでしょうか? ただの遠足ではなく、北九州市の指定文化財の『立場茶屋銀杏屋』も訪問され歴史学習 をされたとかいうことで、さすが6年生ですね。大名様の気分になっていかがでしたか? 長崎街道が脇街道で、多くの人馬が行列をなし街道を歩いていったことに思いをはせな がら、楽しい『旅』はできたでしょうか? 話に聞くと、普段よりは長い遠足の行程に少々疲れ気味の子もいたとかで、最近の小 学生の体力のなさも少し心配しております。この遠足で秋を楽しむことができてよかっ たですね。ところで日本では、今、中学生のいじめに関する問題が大きく取り上げられ ているようですね。大変な状況に亡くなった少年の命、遺族の思い、そして同級生のみ なさんの思いなど、多くの方がそれぞれの立場でこの問題と真剣に向き合っていること だと思います。大原小学校の6年生も緊急集会を開かれ、自分たちの生活の中にある、 こうした 諸問題について学び合おうという話し合いがなされたようですね。』この ような時だからこそ、物事の本質をしっかり見据え、より正しい判断と解決のための前 向きな行動をとっていきたいものですね。学校や先生に問題があるとの報道がなされて おりますが、それとは別に(関連も多いのでしょうが)、いじめを続けてきた子たちの 心の問題について考えることが抜けてしまったりないがしろにされたりすることがない ように願いたいものですね。どんな理由があるにしろ、人を集団で押さえ込み、生きる 権利までをも奪い取るこの問題のおそろしさにしっかりと目をむけてほしいと思います 今 あなたのそばで誰かがひどい目にあわされているのなら、いじめにみられるよう な反社会的行為が行われているのなら、あなたにできることを勇気をだしてやってほし いと思います。命の相談、悩みの相談、学校生活を楽しくするための相談などは、先生 に話してみてください。あなたたちを守る舵取りをさせていただきます。人のせいにす るのではなく、自分と向き合いしっかり考えて、相手や相手の立場を思いやる気持ちを 忘れずに、楽しく、明るく、ゆかいな学校生活をおくってほしいと思っています。 『 みつめよう あなたの心と あなたの素顔 濁ってませんか? すてきな瞳が 』 『 人任せ 人のせいなら 簡単だ まずは 君が どう動くかだ 』 まだまだ 秋晴れが続きます。この澄んだ空のように、きれいな心で、やさしくあたた かい自分の生き方をさがしてください。決して人を傷つけたりしないように・・・』 インドを旅するマイケル ハーマンより 悩み多き年頃です。お子様のことでご相談がありましたら、どうぞ遠慮なくご連絡ください。お子様自身が自分自身を見つめ直す、そんな機会を与えてあげるのも子ど もを育てる者の役目でもあるような気がします。お子様と話をされてください。 今が大事な時です。よろしくお願いします。 |
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10月13日 | ![]() |
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東アフリカを旅していたはずのゆたか丸が気分をかえて海をわたりインドに到着しました。世界で2番目の人口を有するインド、寺院と宗教の国というイメージが強い国ですが、実は、昔からある宗教上の身分の差の影響が今も強く、ゆたかな生活をする大富豪のかたわら、路上では、ストリートチルドレンがたくさん見られます。物売りをする子や物乞いをする子など、数えられている人口以上に人が住んでいるかもしれないとも言われている不思議な国でもあります。一度行ってみるといいですよ。 | |||
昨日、開催された陸上記録会、好天にも恵まれ、八幡西区33校の小学校に加え、今年から連盟への加盟が認められた北九州朝鮮初級学校の友達が参加し、それぞれの種目に全力を出してがんばりました。大原小学校からも全種目に選手がエントリーしました。第2次世界大戦を中心とした歴史的事情の中で日本に在住されている在日朝鮮人の方たちとその子どもち、最近の情勢といいさまざまな事情を抱えているわけですが、『同じ地元の子どもたち、スポーツを通して心の交流をはかっていきたい』という願いで、加盟・参加にいたったわけで、子どもたちも一生懸命に競技していました。その中の選手の横を隣で一生懸命走っている姿がテレビに放映されている子もいました。よかったですね。成績は、記録会だけに、後日連絡ということになりましが、公式陸上競技場のトラックで走ったり跳んだりしたりする経験は、大きな経験につながったことでしょうね。おつかれさまでした。保護者の方々の熱い応援もあったようです。どうもありがとうございました。 次のステップアップは??? 学習発表会 器楽演奏へむけて ラストスパートです。 演奏予定の曲目は 【 運 命 】第一楽章(抜粋) と 【 風をきって 】と、お楽しみのもう一曲・・・ですね。練習にがんばりましょう。 |
![]() 100メートル走 |
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![]() 走り高跳び |
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![]() 走り幅跳び |
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![]() 400メートルリレー女子 |
![]() 400メートルリレー男子 |
![]() 800メートル走 |
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10月3日 | 明日は、人権に関する学習参観です。楽しい学習を予定しています。ご都合のつくファミリーは、5校時に間に合うように登校されてください。その後の懇談会では、修学旅行のスライドショーや親子で楽しむ人権学習についての勉強会も予定しています。どうぞ、お楽しみに。一階オアシス広場には、長崎での平和に関する学習会の感想文を掲示しています。ごらんください。 | ||
9月27日 | ![]() |
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9月22日 | ![]() ケニア共和国、東アフリカの中では、比較的安定した国です。マサイ族、キリマンジャロ、サファリ・・・などで有名な国ですね。イギリスの植民地時代から独立して長いのですが、国は発展の途中です。ケニアにボランティアの関係で2度行ったことのある私ですが、今でも、現地のボランティアの方との親交や、ケニアの高校生をはじめとする子どもたちへの教育援助『足長おじさん』的な活動も続けさせていただいています。本当にすばらしい国です。今度機会があったらもっとお話したいと思うのですが、今回はここまで。 |
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あるお母さんの修学旅行日記・・・☆ いつもお世話になっております。学級通信を見まして、思わず『連絡帳を出して』と子どもに言ってしまいました。先生、すごいですね。小学校の修学旅行のノートが残っているなんて。本当に楽しい修学旅行だったという証ですね。私事ではありますが、6年の修学旅行が私の人生を決めたと言ってもいいくらいすごく思い出に残るものでした。修学旅行に行く前からの班きめ、見学場所の勉強、何度も用意するものをカバンから出したり入れたりして。いざ、修学旅行、バスに乗ると、ガイドさんの話に夢中になり、みんなでマイクの取り合いをしながら歌を唄い、そのバスの中でうたって先生にほめてもらって、ガイドさんにあこがれ、バスガイドになろうと心に決め、バスガイドになりました。私の人生を決めた修学旅行、子どもたちにも本当に心に残るいつまでも忘れることのできない修学旅行にしてほしいと思います。★ お母さん、ありがとうございました。夢が実現したのですね。すばらしいですね。子どもたちにとって最高の旅になるように職員もがんばります。 |
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「人権週間」の取り組みから 標語の紹介
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9月1日 | ゆたか丸 長い航海へむけて再出航![]() |
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長い夏休みが終わりました。休みが終わるのを待っていた人も、まだまだの休みたい人も、思い様々でしょうが、始まったものは仕方がない・・・気分一新、航海に出かけましょう。 2学期のスタートは、中ごろに、ニッセイ名作劇場鑑賞があります。終わりごろには、みんなが楽しみにしている小学校最大のイベント修学旅行がやってきます。さっそく準備に追われる日が続きます。自分たちの自分たちによる自分たちのためのすてきな旅作りを目標に、みんなで心と力をあわせていきましょう。先生たちもエンジン全開でがんばります。ドイツからスタートするゆたか丸も帆をあげて元気に出航です。ファミリーのみなさんも応援をよろしくおねがいします。 |
<ドイツ アラカルト> 日本と同じいわゆる敗戦国の国です。第2次世界大戦前までは、ヨーロッパのほとんどを支配下においていたドイツも、大戦後は日本と同じ敗戦国として、西ドイツ・東ドイツの2つに分断してしまうといった苦難の歴史を持つ国です。2つをへだてていた《ベルリンの壁》がこわされ、ひとつのドイツに戻ったわけですが、その後は、国も力をつけていきます。サッカーのワールドカップが開催された国にもこのような歴史があったのです。ビールのうまいドイツでもあります。 |
1学期 | |||||
夏休み直前号 |
明日から 楽しい夏休み みんな元気にすごそうね なんといっても夏休み 楽しい楽しい夏休み あなたはどこへ? 君は何を?今日も明日もあさっても 楽しいお休み 続きます。 |
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【 夏の教室への参加について 】 @ くつでくる |
【 夏休みの課題について 】 @ 学級から出されている課題を計画的に |
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夏季休業日中の緊急連絡は、学校及び各担任へ迅速に・・・子どもたちを守りましょう 【 ファミリーのみなさんへ 】 |
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6月23日 |
ゆたか丸 沖縄編 パート2 沖縄慰霊の日の今日、昨日の学習の感想文を紹介します。 |
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梅雨本番 水の事故に気をつけて降り続く雨で川が増水しています。側溝に水がたまります。車もスリップします。 八幡西養護学校のお友達より おたよりがとどきました。担任の先生方を通して、みんなへのお礼の言葉もいただきました。 『 とてもすてきな交流会でした。みんながやさしくサポートをしてくれて、3人の子も楽しかったといっています。一人ひとりにあったプレゼントも用意していただき、大切に使ったり飾ったりしています。これからもどこかで会うことがあると思います。いろいろな情報交換もしていきたいですね。最後に、大原の子はみんな歌や踊りが上手でした。思いやりがあるなあとも思いました。どうもありがとうございました。 』 こうした学習をきっかけに、君たちが、これから『どう生きていくか』が大切です。 |
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6月23日 沖縄 特別号 |
【 沖縄慰霊の日にむけて 】 大原小学校6年生として みなさんは〔戦争〕と聞いて、何を一番に想像しますか?『かわいそうなぞう』のお話?それとも、『ちいちゃんのかげおくり』それとも『ひとつの花』のお話ですか? それとも やっぱり『広島・長崎に落とされた原子力爆弾』のお話ですか? それぞれが、今まで学んだことの中から、いろいろなことを想像することでしょう。 1945年に戦争が終わりをつげた第二次世界大戦(太平洋戦争)、それから61年がたとうとしています。 戦争と言えば、9月には、修学旅行で学習予定の長崎原爆資料館にむかいます。きっと君たちの心には、新しく『戦争』というものが刻(きざ)まれることでしょう。一瞬にして多くの命を奪い、未だに、多くの人の体や心にその放射能の影響を残す原爆・・・そのおそろしさや戦争の悲惨(ひさん)さを、少しでも感じ取ってくれればと思っています。8月6日の広島、8月9日の長崎、そして8月15日の日本の降伏(こうふく)と、それぞれの日は多くの人の心にきざまれてはいますが、もうひとつ心に刻んでおいてほしい日があるのです。それが明日6月23日なのです。 6月23日は、【沖 縄】を思い出す日なのです。沖縄と言えば、まわりを海に囲まれた美しく自然がいっぱいのすてきな島をイメージすることでしょう。しかし、実際は・・・と言うと、島には南北(たて)に大きな基地の滑走路が走り、街には、多くの外国人兵士がいる【基地の島】なのです。なぜ、日本の県のひとつの沖縄がそうなのか?その理由をひもとくには、約60年の歳月をさかのぼる必要があるのです 世界が第二次世界大戦に突入した時、それ以前の3つの戦争で大きな利益を得た日本は、当時のドイツ、イタリアと手を組み、アジアの国々を自分のものにしようと、戦争をはじめた。相手は、大国 アメリカ合衆国、イギリス、中国、ソビエト(今のロシア)を中心とした国々、今からしてみれば勝つはずのない戦争を始めたのだ。北は朝鮮半島(今の韓国や北朝鮮)に進み、中国で多くの人々を犠牲にした日本軍、 南は、沖縄より南の島々に進み、土地を奪い、人々を傷つけ、多くの犠牲者を生む日本軍、世界からしてみれば、そんな日本の行いは決して許されるものではなかったのです。最初は、有利にたっていた日本も、島国であるがゆえに完全に囲まれてしまい、 戦う兵士を失い、戦う武器や燃料を失い、だんだんと負けが続きはじめ、占領していた島々もどんどんと南から攻めてくるアメリカ軍に取りかえされていく。最初、勢いのよかった日本軍もどんどん攻められ沖縄の方に押し戻されてきたのだ。次から次へと戦いに敗れる日本軍、だんだんと日本に迫るアメリカ軍、その攻撃は、アメリカが取り返した国の滑走路や海の滑走路とよばれた空母艦から発進した多くの戦闘機により日本の空にも爆弾が降り注がれるようになる。しかし、こうした状況でも、日本軍は、『日本は勝っている。戦い続けよ。アメリカ軍は、けだもので鬼だ。つかまったら殺されてしまうぞ』という教えやうそのニュースを流し続けた。そんな中、日本という土地の中でただ一つアメリカ軍が上陸し攻め込んできたのが、この【沖縄】なのだ。沖縄本島の北側に上陸したアメリカ軍は、迎え撃った日本軍を島の南においこんでいく。戦争と言えば、兵士と兵士がするもの、軍と軍がするものという国際ルールがあるにもかかわらず、それを最初にやぶった日本と、後にやぶることになるアメリカの戦争にもはや正義などなかったのかもしれない。島に住む多くの人たちが島の南においやられ逃げまどった。日本の本土(当時は沖縄からしてみれば九州や本州などは本土とされていた)からの応援はというと、何もなかったのである。応援したくてもほとんど何ももっていない日本軍は、沖縄を戦争の最後のとりでにしたのだ。とりでというよりも負ける日をのばすための最後の戦いの場所にしたのだ。そうとも知らない沖縄の人々は命令されるがままに数少ない日本兵と一緒に多くのアメリカ兵をむかえうつ。勝てるはずのない最後の戦いに挑んだのだ。島の中心から南の方へ追いやられる日本軍と沖縄の人たち、多くの犠牲者をだしながら、最後にとった手段はほとんどが・・・自ら命をたったのだ。なんと信じられないことがこれから起きることになる。その時の様子を伝える一冊が、今日学習する【おきなわ 島のこえ ヌチドゥタカラ(いのちこそ たから)である。 それでは、さっそくこの一冊から当時の沖縄の様子をふりかえってみることにしましょう。悲しい事実にめをそむけずに・・・戦争というものと正面からむきあって、このお話を聞いてください。 紙芝居 OR 読み聞かせ 《 おきなわ 島のこえ ヌチドゥ タカラ 》 この一冊から何を学びましたか?勝てるはずのない戦争にいどみ敗れた日本、この沖縄でおきたことはまぎれもない事実なのです。がけからとびおりる女子学生、穴の中で爆弾を爆発させ自殺した人たち、自分の子どもを殺し、自分も自害してはてた親 子、当時のまちがった戦争が、まちがった教えが生んだ大きな悲劇なのです。その後片道分の燃料と爆弾1個を抱えて相手の戦艦に突っ込んでいった神風特攻隊の若い兵士たちもいました。いつまでも降参(こうさん)しない日本には、2つの原子爆弾が落とされ尊い命がたくさん失われました。もっと早く戦争をやめていたら、いや、戦争など始めていなかったら、こんな犠牲は生まれなかったのかもしれない。日本だけでなく相手の国の人たちも・・・今でも生きていたであろう人たちが何千、何万といたのです。日本は戦争に敗れ、一時は占領下におかれました。その後、1951年に日本としてのやり直しを認められますが、この【沖 縄】だけは返してもらえなかったのです。日本が日本として成長している間も、沖縄は日本ではなかったのです。1977年、日本に沖縄が返され、沖縄県が生まれましたが、その後も、アメリカ軍の基地が沖縄には残り、今でもその状態は続いているのです。毎日響くアメリカ軍の爆撃機の音や、戦争がひとたびおきればまた戦場になるかもしれないという恐怖といつもたたかいながら、今も沖縄は、その姿を変えないのです。米国に守ってもらっている形になっている今の日本、沖縄の基地を他の県に移すこともなかなかかなわず、アメリカ軍がひきあげていくことも考えられず・・・基地の事故や、基地に住む外国人兵士とのトラブルもなくなりません。今も沖縄は、戦地沖縄なのかもしれません。前にもお話したように、広島や長崎に落とされた原爆も、大きな犠牲と戦争のつめあとを残していますが、この【沖縄】も未だに大きな問題を抱えているし、何よりもその戦いの歴史は、人々の心から決して消えない悲しい歴史なのです。 世界で続くいまだに終わりのない戦争、同じ国に住む違う民族同士の争いもあります。日本ですら未だに北朝鮮や韓国、中国、そしてアジアの国々との間に解決していない問題が多くあるのです。最近では、ミサイルの問題や日本人が連れ去られた【拉致(らち)】の問題などを耳にすることも多いでしょう。 【沖縄】がわたしたちに語るものは・・・いったい、この【沖縄】はわたしたちに何を伝えるのだろう。それぞれが、心でうけとめ、真剣に考え、自分たちのすてきな未来をつくる大きなヒントにしてほしいと思います。と同時に、こうした尊い命の犠牲の上に、今の日本があり、わたしたちの生活があるのかもしれないということを、決して忘れてはいけないことと思います。 人が生きること・人が死ぬこと、簡単に暴力をふるうこと、暴言をはくこと、小さな戦争をとめられずに大きな戦争をとめることができるのでしょうか? 年に一度、広島を長崎を学ぶ機会があるように、この【沖縄】を学ぶことがいかに 大切なことであるかを君たちに今日伝えたい。一度、沖縄に足を運んでほしいもので す。【ひめゆりの塔】は、戦争を知らない私たちに戦争を教えてくれます。戦争を伝 えてくれます。【ヌチドゥ タカラ(いのちこそ たから)】を伝えてくれます。 明日の沖縄慰霊の日には、新聞やニュースで報道があったり、学校全体でも取組が予定されています。ひとりひとりの気持ちが大切だと思います。小学校の最上級生として夏の平和に関する学習、そして修学旅行での原爆資料館見学学習にむけて、心の構えをつくっていきましょう。給食室横の掲示板でも【 沖 縄 】が学べます。ぜひ、 この機会に、多くのことを学びましょう。おうちの人とも学びあいましょう。 |
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6月20日 |
再航海へ ゆたか丸 ロシアへ ゆたか丸がロシアへ到着しました。世界では、大きな事件や事故が相次いで起き、 以前にあった大きな事故も忘れ去られてしまうのが現状ですね。ロシア・ソビエトと 言えば、あの『チェルノブイリ原発事故』も有名で、今でも甲状腺のがんや後遺症に 苦しむ人もたくさんいるわけですが・・・そうした問題も忘れ去られていってしまっ ています。多くの民族が抱える問題や紛争も多い国ですが、寒い国の街のあちらこちらには、飢えと寒さと戦うストリートチルドレンも多いと聞きます。かっては、アメリカ合衆国と並ぶ世界の二大大国でしたが・・・船は、次は、西へ進みます。 ゆたか丸は北へ・・・みんなの学習は南へ・・・ |
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だんだん だんだん わかってきたぞ! 楽しくなってきたぞ 算数学習少人数学習が進められています。担当の森 先生が熱心に教えてくださっています。 |
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スポーツテスト 終了 自己評価は?子どもたちが自己採点をして自分の体力をふりかえりました。さて、結果はいかに? 大河ドラマも勉強になるよ『先生の話を聞いて お母さんが大河ドラマ(功名が辻)を見始めたよ・・・。』 |
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6月2日 |
ゆたか丸 トンガ代表と親善交歓会を開催大原の【ゆたか丸】軍団が、トンガ代表との親睦を図りました。 6月1日 ラグビートンガ代表が、大原小学校にやってきました。『お〜 でかい』という子どもたちの大きな歓声が上がりました。午後2時にバスで到着したトンガ代表メンバー5人、子どもたち手作りのトンガ国旗と日本国旗やウェルカムカードの中をトンガ選手団が体育館に入場してきました。古賀選手?を先頭に、大きな選手、こわそうな選手、ハンサムな選手、やさしそうな選手が入場してきました。女の子の中には瞳がハートマークになる子もいて笑顔いっぱいの歓迎でした。交歓会は3部に分かれてたっぷり2時間行われました。スポーツ親善国際交歓会『トンガ IN 大原』の様子をお伝えしましょう。 トンガ選手の紹介が行われました。選手を見つめる子どもたちの目はキラキラとかがやきまるでスター軍団をみているかのようでした。英語での歓迎の言葉のあとは、歓迎の音楽、リコーダで演奏をご披露しました。緊張からか音がずれていたのにトンガの選手が気づいたかどうかはわかりませんが・・・拍手をいただきました。 第2部は、いよいよスポーツ親善交歓会のメインのゲーム大会がスタートしました。 セカンドステージは、腕相撲大会・・・トンガの選手の太い腕に負けまいと力を入れてはみるものの・・・勝てるわけがありません。しまいには2人がかり、3人がかりで、トンガの選手との肌と肌のふれあいを楽しんでいました。校長先生や担任の先生もチャレンジしましたが山は動かずの感じでした。それにしても太い腕でした。 ラストステージは、日本の子どもが得意のドッジボールでなんとか一泡ふかせようとがんばりました。最初はソフトな感じでゲームを楽しんでいた選手達も後半は本気モードになって楽しんでいました。トンガの選手にボールをぶつけた選手の喜びようといったらありませんでした。こちらも楽しいひとときでした。 第3部は、トンガ選手との懇談会でした。トンガ選手の民族の歌のご披露はとても印象に残りました。体つきからは考えられない歌声が体育館に響き、子どもたちもじっと聴き入っていました。それにしても上手でしたね。大原の子どもたちからは、勝利を祈る折鶴と勝利の雄叫び『ウォークライ』が贈られました。この『ウォークライ』は運動会でもご披露しましたが、今回は女子も参加、前の日まで照れていた女子も大きな声でトンガの選手に迫っていきました。この激励に刺激されたのか、トンガの選手もお返しの『ハカ(ウォークライの一種)』を披露してくれました。お互いの気持ちが一つになった瞬間でした。 こうしてすごしてきた時間も終わりをむかえ、最後は一人ずつ選手達と握手やサイン会を楽しみました。あっという間にすぎた2時間でした。バスまでの見送り、そして、校門に列を作っての『さよなら』に、今日一日のすてきな時間の証が見られたようでした。 代表戦の前の忙しい時間の合間をぬっての交歓会参加の選手をはじめこのようなすばらしい機会を設けてくださった教育委員会の関係者の皆様に感謝の気持ちを表したいと思います。『ゆたか丸』の乗組員も、またひとつ大きく成長できたことと思います。どうもありがとうございました。応援にかけつけてくださっていたファミリーのみなさんもありがとうございました。 |
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