明治5年(1872年)のことです。日本中のどこの町や村にも学校をつくることがきまりました。
そのころ八幡は、枝光村、尾倉村、大蔵村の3つの村にわかれていました。

 明治7年(1874年)に
枝光村は、お宮をかりて、枝光小学校を
尾倉村は、お寺をかりて、祇原小学校を
大蔵村は、お宮をかりて、大蔵小学校をつくりました。

枝光小学校は、男子24人、女子8人
尾倉小学校は、男子34人、女子4人
大蔵小学校は、男子17人、女子1人

どの学校も人数の少ない小学校でした。   
ところが、大切なお宮やお寺を学校にとられた村の人たちは、そのうち、新しく学校をたてなくてはと考えるようになりました。それも、3つの村で力を合わせ1つの学校をたてようというのです。
そこで、それぞれの村から世話人が集まり、3つの村の真ん中に学校をたてることにしました。
しかし、どんなたてものにすればよいかだれにも分かりません。
いろいろ考えたすえ、そのころ一番学問の進んでいる長崎へ調べに行くことになりました。
手甲、きゃはんに、わらじばき、ふりわけ荷物を肩にかけ、代表2人が長崎へ出発しました。もちろん、汽車のないときです。てくてく歩いての旅でした。
行きに5日、長崎に5日、帰りに5日、15日がかりで、やっと帰ってきました。
さっそく、3つの村の世話人が集まり、2人の報告をもとに学校づくりの計画がたてられました。

地ならし作業に、材木の切り出し、村人総出の新しい学校づくりが始まったのです。 こうして、明治11年(1878年)遠賀郡でもっとも立派な学校ができあがりました。 名前を岡東小学校とつけました。これが八幡小学校のはじまりです。
 
  明治31年(1898年)に校長として八幡小学校に赴任してきた長野讃太郎先生は、岡東小学校のことを
「村の中央にはあるがあたり近所に家らしい家はなかった。国道に沿ったいわば一軒家だった。しかし、学校がたった明治11年(1878年)頃は遠賀郡内でも指折りの学校だった。子どもの頃、小倉へ行き来したとき、この校舎を見ては、うらやんだものだ。今の西本町4丁目ぬのや呉服店のあたりにあって、
幅が4間、長さが12間ぐらいの建物だった。」
と語っている。    
長野讃太郎先生は赴任当時のことを
 「かつて遠賀郡の中では指折りの学校であった八幡小学校も、私が来た明治31年(1898年)には見るかげもないほどの落ちぶれようだった。
 壁ははげ、かわらは落ち、窓ガラスの代わりに古い幕を張っていた。
 廊下を歩くとゆらゆらゆらいだり、きしんだりしていた。
 製鉄所の建設が始まっており、転入児童が毎日のように学校に来ていた。
 校舎はたちまち不足し、仮校舎が建てられた。
 たたきもしっくいもない板屋根のバラックで、下足のままで勉強をしていた。
 雨が降ると傘をささなければならないほどだった。
 それでもまだ教室が足りなくなったので、有志の一人が借家を建て、貸してくれたこともあった。
 心ある人は学校の設備が悪いので、子どもを郷里に残して八幡に来ていた。
 こんなことではいけない。なにはさておいても学校をよくしなければ・・・、という声が上がった。
 そこで、村長はじめ数名の町会議員と、当時有名であった早良郡(さわらぐん)の有田高等小学校を視察に行った。
 そうして、現在の熊本山(高炉台公園)に学校を移すことが決まった。
 ところが、明治35年(1902年)、政府から製鉄所に仕事を中止するよう命令がきた。
 働いていた人たちもやめさせられるなど大混乱となった。
 そして、町には多くの壊れかかった空き家が残った。
 町も税金が入らず、ちょうど学校の新築工事が進められていたが、業者にお金を払うことができないほど困っていた。
 なんとかしなければと町会議員の人たちが連名でお金を借り、いろいろなところへ支払っていた。   
 このような苦しいときではあったが、
 明治35年八幡小学校は完成し、熊本山に移った。」
明治35年(1902年)の八幡小学校の児童数は580人でした。ところが、明治40年(1907年)には1300人、5年間で2倍も増え、また教室が足りなくなってしまったのです。
それで、明治40年尾倉小学校を新しく建て、八幡小学校から尾倉地区の子どもたちが分かれていきました。
ついで、明治42年(1909年)枝光小学校、明治45年(1912年)大蔵小学校、大正2年(1913年)平原小学校、大正9年(19191年)天神小学校、大正10年(1920年)山の口小学校に八幡小学校から分かれていきました。  
 
明治42年に新しく建てられた枝光小学校
       
 
元号 年度 できごと
明治 11 三つの村(尾倉・大蔵・枝光)がそれぞれの小学校をあわせ、尾倉字東田に岡東小学校(現在の八幡小学校)ができる
19 尾倉小簡易科と改称
22                     ※尾倉村・大蔵村・枝光村が合併して、八幡村が誕生する
33                     ※八幡村が八幡町となる
34 八幡尋常小学校と改称     ※11月に官営八幡製鉄所の開業式が行われる
35 熊本山(現在地)に校舎を移す   
41 学制改革により6ヶ年の義務教育となり、二部授業を行う
明治

大正
40

尾倉・枝光・大蔵・平原・天神・山ノ口尋常小学校ができ、本校の児童の一部が移る
                    ※大正6年、市政施行により八幡町が八幡市になる
昭和  6 増築により二部授業解消
10 鉄筋コンクリート造3階建の新築校舎落成
16 学制改革により国民学校令が施行、八幡国民第一学校と改称
20 八幡大空襲により煉瓦建1棟、講堂など焼失
22 学制改革により八幡市立八幡小学校と改称
給食開始
34 校歌完成
38 北九州市立八幡小学校と改称 ※八幡市は五市合併で北九州市八幡区になる
45 学校給食優秀校として文部大臣賞を受賞
47 プール竣工
第17回学研教育賞受賞
49                     ※八幡区は八幡東区と八幡西区に分区される
51 耳の教室・ことばの教室設置
58 創立100周年記念式典挙行
63 嫗岳小学校との交流開始
平成 旧校舎解体。プレハブ校舎に移転。
新校舎完成
10 新校舎落成
創立120周年記念式典挙行
13 省エネルギー教育推進モデル校に指定
14 太陽光発電、ビオトープ完成
社会福祉協力校に指定
15
16 「ソニー子ども科学教育プログラム」努力校受賞
管理棟に空調機設置
各教室横にコート掛け設置
17 「教育公務員弘済会教育研究論文」最優秀賞受賞
「まち美化活動」感謝状受賞
18 「福岡県小学校児童画展」毎日新聞社賞受賞
19 「福岡県小学校児童画展」サクラクレパス賞受賞
「北九州3R活動推進賞」受賞
20 「スチール缶回収に取り組む小学校への支援事業」最優秀校受賞
学力ステップアップ事業推進校指定
創立130周年記念式典挙行
21 耳の教室復級
22 小中一貫・連携教育モデル推進事業モデル校区指定
学校給食業務の民間委託開始
NIE実践指定校の認定
北九州スマートコミュニティ創造事業
23 ペガサス学級新設
24 ペガサス学級教室整備
運動場スプリンクラー設置
体育館床研磨
福岡県子どもの交通安全活動最優秀賞受賞
運動場前面芝生化
25 教育研究論文「社会科」銅賞受賞
26 全国小学校社会科研究協議会研究大会 福岡大会開催
   大会主題「社会を形成していく生き方を創りつづける社会科学習」