田野浦の歴史・ユーカリの歴史



平安時代後期
 1185年(文治元年)
  源平合戦「壇ノ浦の戦い」・・・田野浦沖で行われる。別名「源平田野浦沖海戦」
  田野浦の聖(ひじり)山~平家の本陣であた。

江戸時代前期
 1661年~
  「北前船」(千石船)の寄港地といて脚光・・・文化・交通・通商の中心地として栄える。

江戸時代後期
 1860年~
  山口藩と小倉藩の間に不穏な情勢あり。
  高杉晋作率いる奇兵隊が、海峡制圧のため、一時田野浦を占領。砲台場を築造。
 1864年(分久)~
  4ヶ国連合艦隊(イギリス・フランス・オランダ・アメリカ)が、長州藩への馬関攻撃の際、
  田野浦沖に本拠地を置き、海峡取り締まり・夫役等により村民の苦難が続いた。
 1866年(慶応2年)
 豊長戦争により、田野浦は山口藩に占領され、奇兵隊の攻撃により大半を焼かれる。

明治の時代
 1868年(明治元年)
  寺小屋式の学校にて、真楽寺や先生宅(正木為蔵氏宅)で、主に人名・商売用語等の文字の
  手習い・珠算教授があった。
 1872年(明治5年)
  長田宇一郎宅において、鈴木栄左衛門氏について教えを受ける。全て畳の上に座し教科書も
  ない。
  (明治5年秋)~小倉県田野浦小学校として設立。男子45名、女子9名、教員1名。
 1912年(明治45年)
  現在の地に、2階建ての新築校舎が落成する。ユーカリの木 等の植樹も同時に行われる。

大正の時代
 1913年(大正 2年)~高等科を分離して、松本校へ移す。田野浦尋常小学校と改称。
 1924年(大正13年)~田野浦に電車が開通。田野浦⇔東本町。

昭和の時代
 1941年(昭和16年)~田野浦国民学校と改称。
  太平洋戦争。関門海峡は、磁気機雷投下で海の墓場となる。空襲で市内東部が全滅状態。
 1947年(昭和22年4月)~福岡県門司市田野浦小学校と改称。
 1952年(昭和27年)~2階建て校舎の改修工事。80周年記念式典挙行。
 1961年(昭和36年)~鉄筋3階建て校舎新築・落成。(他の樹木は伐採。ユーカリは保存)
 1969年(昭和44年)~プール完成・竣工。
 
平成の時代
 2012年(平成24年)~植樹以降、ユーカリ100歳の誕生年。