北九州市立企救丘小学校
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昭和40年代に入り、小倉南区は急速な発展をしてきた。中でも昭和41年、西日本一といわれる広大な徳力団地の建設と山手団地の開発により、昭和44年4月、徳力小学校より分離独立して広徳小学校が創立された。

その後、急激な人口の増加はつづき、広徳小学校開校2年目にして仮称第2広徳小学校設立の声がおこり、昭和47年7月に企救丘小学校の設立が決まった。

校名については、企救郡の名残をとどめたいということと、学校が小高い丘にあり、北に響灘、南に遠く福知の霊峰、東にはるか豊後水道を望み、西に皿倉山と四方の景観を一望し得る高台は、万葉のころから歴史的に極めて由緒ある土地柄であることから、「企救」に「丘」をつけ、「企救丘小学校」とした。

当時、校区周辺は丘陵で、付近には千メートルの国有地射的場、6千坪もある長池があり、海抜20数メートルの小高い丘には茶畑が広がり、自然に恵まれていた。今はその面影はない。
1973年  開校当時
1973年
1992年  開校20周年時
1992年