ここをクリックすると山の音が聞けます。

白山宮                                                     modoruburu.gif (3571 バイト)

4-7torii.jpg (27824 バイト)   宮前というバス停近くの小高い所に白山宮があります。白山神社は、全国に3千以上あるといわれています。白山神社の総本山は、加賀(石川県)の白山比盗_社は、加賀・越前(福井県)、飛騨・美濃(岐阜県)にまたがる霊山、白山を神体山としています。白山山の祭りは、9月15日です。昔は、若松や門司の海岸に行き、きれいな石とか海草をひろってきて神前に供え、おこもりをしているということです。おこもりというのは、お宮に入ったまま外に出ないことです。白山宮の境内は、いつもきれいに掃除されています。白山宮の境内を毎日のように掃除されているのは、お宮の近くの中村さんと村田さんだそうです。

 

 

 

沼田泰子さんの記念碑

4-7.jpg (5959 バイト) 白山宮の鳥居をくぐり階段を登っていくと、途中にこの記念碑があります。沼田泰子さんは、河内貯水池の工事をされた沼田尚徳さんの奥さんです。泰子さんは、工事の期間、自分で作ったおすしやおはぎなどを持ち、高見の社宅からバスに乗ってたびたび河内を訪れ、働いている人たちを慰問されたということです。
 しかし、泰子さんは昭和3年(1928年)1月、しょう紅熱のため40才の若さで亡くなられました。泰子さんは、病の床に伏し、高い熱にうなされながら「河内に行きたい。河内に行きたい。」と何度もおっしゃったそうです。それで、工事現場で働いていた人たちが泰子さんの病気が治るようにと福岡の香椎宮に祈願に行ったという話しも残っています。このように、泰子さんは工事で働いていた人たちから慕われていました。
 泰子さんは、主人がとても大事な工事に取り組んでおられるということをわかっておられ、ぐち一つこぼさず主人のためにつくされたということです。また、沼田さんも奥さんの気持ちをとてもよくわかっておられ、感謝されておられたということです。
 愛する奥さんを亡くされた沼田さんは、次のような文章と詩を残されました。


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わたしは,以前,河内の水道工事のために働きました。工事はおおかた十年かかりましたが,幸いにも完成させることができました。完成させることができたのは,神様のお力添えがあったことは言うまでもありません。しかし、わたしの妻の助けによるところも非常に大きいものでした。残念なことに天は妻に年を与えてくださらず,妻は工事が終わりかけようとしているときに病気で急に亡くなりました。わたしは、よく協力してくれた妻の気持ちを哀れみ,死を悲しんで五言絶句の詩を作りました。

 

わたしが愛した妻の魂は,今どこをさまよっているのであろうか。

心のやさしかった妻とは,あの世とこの世に別れて住んでいる。

妻と楽しく過ごした日のことが,遠い昔のこととなってしまった。

桜の花が散る前にたたずんでなき妻のことを思うと,胸がはりさけるような気持ちになる。

 

 

 

4-7eigo.jpg (10770 バイト)   記念碑の裏には右のような英語の文章が刻まれています。終戦後、休日などに遊びに来た進駐軍の兵隊さんが記念碑のことを知り、大変感心していたということです。妻を弔う碑は世界中どこに行ってもないということです。

 

白山宮について「河内茶屋」の秋山さんにインタビューをしました。
@「いつ頃から白山宮はあるのですか?」
氏神様として昔からあります。昔はもっと山の上の方にありました。貯水池より古くからあります。

A「どこの氏神様なのですか?」
河内(奥田・中河内・東河内)の氏神様です。

B「白山宮には、宮司さんがいましたか?」
ずっと宮司さんは住んでいないです。

C「いつもきれいですが、どなたがきれいにされているのですか?」
9月15日はみんなで年1回の大掃除があります。毎日の掃除は近所の人が奉仕活動でしています。

D「白山宮には、どんな植物がありますか?」
シイ・ナラの木・クヌギ・カシ・もみじ等があります。

E「相撲大会があっていたのですか?」
奉納相撲が5年くらい前まであっていました。男の子が少なくなって、なくなってしまいました。昔は、田代・合馬からも出場していました。

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