福岡県企救郡誌によると、小倉城主、小笠原忠真公は寛永の始め、鹿狩りという名目で領地の境を見回れたという事です。見回りの途 中、田代の滝に立ち寄られ,次のような歌を詠まれました。
わけ入れば 心すずしく 成りにけり
神の滝川 音清くして
田代の滝は、板櫃川の上流にあるので「上の滝」とも言っていました。また、滝の近くに天神社があったので「天神の滝」ともいわれていました。天神社に参ると病気が治るということでお参りをする人が多かったそうです。